3.8.2 非線形大規模系のモデリング

 これまでの科学・技術は,基本的に線形理論に立脚してきた。 線形理論の枠組のもとでは,大規模系を取り扱う手法がすでに十分整備されている。また線形系においては,重ね合わせの原理が成立するため,線形理論に基づく解析と要素還元論的解析とは,たいへん相性がよい。そして,これらの線形理論解析と要素還元論的解析が,今世紀の科学・技術を実際リードしてきたのである。

 ところが,自然界のシステムにしろ人工的のシステムにしろ,厳密にはほとんどすべてのシステムは非線形系である。そしてカオスの発見をきっかけにして,実世界における非線形現象の重要性が,広く認識されるようになってきた(合原 93) 。 このような実世界の非線形系,特に複雑な非線形大規模系のモデリングには,線形理論や要素還元論に基づくアプローチはほとんど無力である。そのため,これらに代わって非線形理論や構成論による解析(Analysis by Synthesis) に基づく非線形大規模系のモデリングに関する研究が活発に行なわれている。

 以下では,ニューラルネットワーク,ファジィ,カオス工学や,それらを融合した手法を用いた非線形大規模系のモデリングの実例を紹介する。

 (1)  ニューラルネットワーク
 人間の脳の神経細胞を模倣した数理モデルである(人工) ニューロンから構成された(人工) ニューラルネットワークは,Rumelhartらが提案した誤差逆伝搬法(Rumelhart 86 )を契機として,再び活発な研究が再開され,パターン認識,制御など様々な分野において応用事例が報告されている( 合原 88, 麻生88 )。
 ニューラルネットワークに限らず,一般に,入力と出力に着目して非線形系のモデリングを行い,何らかの問題解決を図ろうとする場合,そのモデリングには二通りのアプローチが考えられる。一つは,モデリング対象の順モデルに着目するアプローチであり,もう一つは,モデリング対象の逆モデルに着目するアプローチである。特に,モデリング手法として多層ニューラルネットワークを用いる場合には,この違いは重要なポイントとなる。

 ニューラルネットワークを用いてモデリング対象の順モデルを構築する問題は,モデリング対象の入出力関係が一般に多対1の写像となるが,モデリング対象が静的システムであれば入力に対して通常は出力が一意に決まるため,ニューロン数などニューラルネットワークの構造をある程度適切に設定しさえすれば,その学習能力を活用して比較的容易に順モデルを獲得することができる。

 他方,モデリング対象の逆モデルに着目するアプローチでも,応用によっては(その逆モデルの入出力関係が1対多の関係になければ),ニューラルネットワークを活用できるが,パターン認識,制御など大部分の応用分野で要求されるのは,光学系あるいは制御対象などの非線形な物理系の逆問題を解くことであり,一般に,これらの問題は解が一意に定まらない不良設定の問題となる。したがって,このような系の逆モデル(1対多の入出力関係をもつモデル)を多層ニューラルネットワークで獲得するのは難しい。なぜなら,多層ニューラルネットワークは矛盾する教師パターンを学習することができないからである。

 このような不良設定の逆問題を解くための多層ニューラルネットワークを用いた解法として,長田らはIterative Inversion法を提案し,センサフュージョンシステムにおける認識や運動指令の生成などの問題に適用している(長田94) 。この方法は,多層ニューラルネットワークに系の逆モデルではなく,系の順モデルを学習によって獲得させておき,この多層ニューラルネットワークに誤差逆伝搬などの最急降下法に基づく反復アルゴリズムであるIterative Inversion法を適用することによって,不良設定の逆問題を解くというものである。

 例えば,センサで観測された情報に基づいてある物体を認識するという問題をとりあげてみる。ある物体をあるセンサで観測した時に得られるセンサ情報("物体→センサ情報"の変換) は,その光学系などの物理系に従って一意に定まるが,その逆の認識の問題("センサ情報→物体"の変換)は,解が一意に定まら ない不良設定問題となる。

 長田らの方法は,このような不良設定の逆問題を以下の手順で解く。

  Step.1 系の順モデル(この例では,"物体→センサ情報"の変換,すなわち,センサ系の順モデル)を誤差逆伝搬法を用いて多層ニューラルネットワークに学習させておく。
  Step.2 何らかの方法でニューラルネットワークの入力データの初期値s(この例では,物体の種別に対する初期値で,認識結果の仮説に相当する)を仮定し,ニューラルネットワークに入力する。
  Step.3 ニューラルネットワークから出力されるデータ(s) (この例では,仮説が正しいとしたときのセンサ情報)と,実際に観測される情報(この例では,センサ情報)dとの二乗誤差U(s,d) を計算する
  Step.4 この誤差U( s,d)がある定数εよりも大きいとき,その誤差を入力層に逆伝搬し,誤差を減少させる方向に入力データ(この例では,認識結果の仮説)sを更新する(最急降下法)。
  Step.5 更新したsを初期値(この例では,認識結果の仮説)として,Step.3 に戻る。

 上記の手順を繰り返すことにより,観測データ(この例では,センサ情報)との矛盾の少ない入力データ(この例では,認識結果)s を決定することができる。
 このように,ニューラルネットワークは,学習によって知識(モデル)を自動的に獲得することができるが,獲得された知識(モデル)を明示的に表現できないという問題も備えている。したがって,系の挙動をブラックボックスとして扱うことを前提とすれば,ニューラルネットワークは非線形大規模系のモデリングに有効な手法といえる。

 (2)  ニューロ・ファジィ融合システム
 一方,人間の経験的な知識をファジィ集合やルールの形で表現するファジィ推論も,ファジィ制御として自動車や家電などの制御分野を中心に様々な分野に応用されている(菅野 88) 。 ファジィ推論は,モデルの構造が理解しやすく,非線形な入出力関係を容易に表現でき,非線形系のモデリング手法として有効ではあるが,ファジィルールのチューニングが必要という問題がある。
 そのため,近年では,ニューラルネットワークとファジィ推論の互いの長所を活かし,問題点を解消しようとする両者の融合手法が数多く提案されている(林93) 。 ここでは,その融合手法の一つとして,岡田らが提案するニューロ・ファジィ融合システムを紹介する(Okada 93)

 岡田らのニューロ・ファジィ融合システムは,ファジィ推論システムの自動チューニングの可能性を与えるものであり,以下の手順で動作する。

  Step.1  与えられたファジィ推論システム(のメンバーシップ関数やルー ル)に対応した構造化ニューラルネットワークを自動的に構築する。この構造化ニューラルネットワークは,メンバーシップ関数を表現するネットワークと非ファジィ化のための重心計算を行うネットワークとの間に,ルールを同定するネットワークを配置した構成をとっており,全体として7層からなる多層ニューラルネットワークである。
  Step.2  構築した構造化ニューラルネットワークをモデリング対象の系に適用することによって,その系からの入出力データを学習データとして取得し,誤差逆伝搬法を用いて構造化ニューラルネットワークの学習を実行する。構造化ニューラルネットワークは,前件部メンバーシップ関数,ルールの重要度,後件部メンバーシップ関数の各々を独立に,あるいは同時に学習することができ,注目している部分の重点的なチューニングが可能となっている。
  Step.3  学習後の構造化ニューラルネットワークをファジィ推論システムに対応した形で解釈することによって,その内部表象を説明したり,チューニングされたメンバーシップ関数を獲得することができる。

 このように,ニューロ・ファジィ融合システムは,ニューラルネットワークがもつ学習・汎化能力とファジィ推論がもつ論理的な記述能力を併せもった適応的な非線形大規模系のモデリングを実現できる。また,事前にファジィ推論システムの形で記述された専門家の知識を構造化ニューラルネットワークの中に埋め込むため,学習回数を低減できるとともに,局所最適解へのトラップを防止することが期待できる。さらに,診断やコンサルティングなどのシステムのように,システムの動作を説明することが要求される分野にとって,ニューロ・ファジィ融合システムによるモデリングは,非常に有効であろう。岡田らは,ニューロ・ファジィ融合システムを転換社債の格付け(Okada 93)や飛行機の自動着陸システム(岡田 95)に適用し,その有効性を実証している。

  (3)  カオス
 決定論的法則に従いながらも複雑な挙動を示すカオスが,自然システムおよび人工システムに普遍的に存在する典型的非線形現象であることが明らかになりつつある。
 様々な分野への応用可能性をもつカオス工学研究の中で現在最も期待されているものの一つが,予測問題への応用である(合原 93)。 これまで確率的な不規則変動と解釈されてきた現象がもしもカオスであれば,非線形力学系理論に基づいた決定論的非線形予測技術によって,高精度な短期予測が可能となる。
 このための手法として,先験的知識なしに,観測された時系列データのみを用いて,モデリング対象の非線形ダイナミクスを同定するカオス時系列解析が活発に研究されている。
 特に,厳密な数学モデルを構築することが難しいプラントのモニタリングや生体信号データの解析などにおいて,このようなモデリング手法の重要性は高い (合原93)
 他方で,非線形大規模系を構成論的アプローチにより解析する研究も行なわれている。

 たとえば合原らは,ヤリイカの巨大神経を用いた電気生理実験やHodgkin-Huxley方程式を用いた数値解析を行い,単一ニューロンレベルでの動的挙動にカオスが存在することを明らかにするとともに,脳神経系はニューロンという"カオスダイナミクスを有するカオスデバイス" で構成された大規模・複雑系であるという観点から,カオスダイナミクスを有するカオスニューロンモデル,およびカオスニューロンを構成要素とするカオスニューラルネットワークモデルを提案している(Aihara 90)

 このカオスニューロンモデルは,実際の生物のニューロンが有する軸策小丘部のアナログ的出力関数,多数の外部入力やフィードバック入力の時空間的加重,および神経膜の不応性をモデル化したものであり,誤差逆伝搬法を用いた多層ニューラルネットワークで広く使用されているロジスティック関数を出力関数とするアナログニューロンモデルやMcCulloch and Pitts の形式ニューロンモデルを包含したニューラルネットワークモデルである。カオスニューラルネットワークの応用例として,ダイナミカルな連想記憶がある。

 最も基本的な自己想起型連想記憶ニューラルネットワークは,記憶したい複数の空間パターンが相互結合型ニューラルネットワークの安定平衡点になるようにニューロン間の結合の重みを決定しておき,与えられた初期状態からその状態を引き込み領域に含む安定平衡点へと収束していくダイナミクスを有する。これに対して,カオスニューラルネットワークは,その結合の重みは自己想起型ニューラルネットワークと同様に決定されるが,不応期のパラメータを変化させていくと,結合の重みに埋め込まれた複数の記憶パターンからなる非周期的時空間パターン系列を自律的に生成するダイナミカルな連想ニューラルネットワークを実現できる。

 この他にも,組合せ最適化問題におけるカオスゆらぎの利用やパター ン識別への応用などが研究されている(合原 94)
 我々にとっても身近な現象である気象のダイナミクスは,複雑な非線形大規模系の典型例であるが,大気運動のもつカオス的性質を手掛かりに,現在の天気予報の限界と新しい可能性を解明しようとする興味深い研究が行なわれている(余田93, 木本94, 向川96)。
 現在の天気予報には,数値予報モデルが用いられており,大気運動は,温度,湿度,気圧データなど数百万次元にもおよぶ巨大な力学系として,コンピュータ内部に表現される。この研究は,大気運動の有するカオス的性質(長期予測不能性と短期予測可能性)に着目し,局所リアプノフ解析を用いて,"予測誤差の予測"を目指すものである。これらの研究は,複雑な非線形大規模系のモデリング全般に大きな示唆を与えるものである。

合原 幸一/長田 茂美

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文献
(合原 93) 合原一幸, "カオス --- 全く新しい創造の波", 講談社, 1993.
(Rumelhart 86) Rumelhart, D.E., Hinton, G.E. and Williams, R.J., "Learning Representation by Back-propagating Errors", Nature, Vol.323, No.9, pp.533-536, 1986.
(合原 88) 合原一幸, "ニューラルコンピュータ --- 脳と神経に学ぶ", 東京電機大学出版局, 1988.
(麻生 88) 麻生英樹, "ニューラルネットワーク情報処理", 産業図書, 1988.
(長田 94) 長田茂美, 増本大器, 山川宏, 木本隆, "ニューラルネットによる感覚運動融合の階層型モデル", 日本ロボット学会誌, Vol.12, No.5, 1994.
(菅野 88) 菅野道夫, "ファジィ制御", 日刊工業新聞社, 1988.
(林 93) 林 勲, "ファジィの応用技術", "ニューロ・ファジィ・カオス --- 新世代アナログコンピューティング入門" (合原一幸 編著), オーム社, 1993
(Okada 93) Okada, H., Masuoka, R. and Kawamura, A., "Knowledge-Based Neural Network - Using Fuzzy Logic to Initialize a Multilayerd Neural Network and Interpret Postlearning Results", FUJITSU Scientific and Technical Journal, Vol.29, No.3, pp.217-226, 1993.
(岡田 95) 岡田裕之, マティアス ケッペン, "ニューロ・ファジィ融合システムに よる 飛行機の自動着陸システム", 11th Fuzzy System Symposium, pp.67-70, 1995.
(Aihara 90) Aihara, K., Takabe, T., and Toyoda, M., "Chaotic Neural Networks", Phys. Lett. A, Vol. 144, pp. 333 -- 340, 1990.
(合原 94) 合原一幸編, "カオスセミナー", 海文堂, 1994.
(余田 93) 余田成男, "カオス理論の大規模システムへの適用 --- 気象予報への適用", "カオス応用戦略" (合原一幸, 徳永隆治 監修), pp. 163 -- 172, オーム社, 1993.
(木本 94) 木本昌秀, "天気予報とカオス", 応用カオス --- カオスそして複雑系へ挑む", pp. 313 -- 325, サイエンス社, 1994.
(向川 96) 向川均, "天気予報はなぜ当たらないのか?", 日経サイエンス, Vol.26, No.1, pp.62-63, 1996.

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